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2017/02/07

銀の世界史



16世紀から現在に至るグローバリゼーションは銀貨の時代だった。近代世界システムの歴史を銀貨流通から描いた一冊。最近は高校世界史で世界システム論を扱うらしく、本書でもコテコテの東大二次の論述問題が例示されているけれど、その世界観をざっくり理解するには好適だろう。その意識なく読み始めて程なくネタ本(「近代世界システム」)がわかる位には忠実な概説書だ。



ちなみに本書を読みながら、再読したくなっていたのが川北「洒落者たちのイギリス史」。これは16世紀以来のイングランドの奢侈禁止令(とその失敗)、ウール業界の時代適応(羊で人を食い殺していた牧羊家がファッションリーダーに!)というイングランドの産業史が、それと明示されないけれど世界システムに関連付けされながら論じられていく。(産業革命の中核たる綿織物に関わるところを全く思い出せないあたり、早く出張から戻って再読したい)

2012/11/10

言霊USA




町山智浩の「USA語録」を読んだ。雑誌所収時のタイトルは言霊USAだそうだ。アメリカの時事問題を、キーフレーズと併せて紹介するコラム。フレーズの大半がお下品なので、実用性は乏しい。かわりに、社会問題に関わるフレーズが多いので、社会の勉強ネタにはなる、、、かな。
アメリカの深刻な政治対立も扱っている。日本人の目には声がデカいキチガイの問題にも見えるけど、社会保障を目の敵にする奴らや、排他的なキリスト教徒は少なくないらしい。そういう問題以上に興味深いのは、サラ・ペイリンがアイコンになっていることだ。まぁ、保守系アホ女のアイコンになるのが嬉しいとは思わないだろうけれど。

しかし、サラ・ペイリンって、要するに片山さつきの上下の口をだらしなくして鯖江製の眼鏡を装着したようなモンだから、珍しい存在でもないかもしれない。
しかし、sweaty ballsなるアイスキャンディの販売停止要求を扱ったコラムで、アイスキャンディを舐めるイラストのネタになれる人はなかなか得難いアイコンではあろう。

2012/11/09

『ユーロ破綻 そしてドイツだけが残った』


昨今世の中を騒がせているユーロ危機。その原因と今後想定される問題と展開を大恐慌研究を引きながら考察した本。曰く、大恐慌はアメリカで発生した不況が、第一次大戦後のヨーロッパの構造問題を一気に顕在化させた。構造問題というのは、第一次大戦後の体制がアメリカからの民間資本の流入無しでは維持できなかった事を指す。なんか、英仏がアメリカに借金を返すために、ドイツをドツイて賠償金を取り立て、ドイツは賠償金を払うためにアメリカに借金する構造だったらしい。倒錯的というか手の込んだ多重債務というか、アメリカ覇権前夜という感じではあるが。で、大恐慌と現在との共通点として、火はアメリカに油はヨーロッパにあり、油に火が移ってから状況が悪化することがある。では現在ヨーロッパの構造問題とは何か?本書はほぼ三文字で答える、「ユーロ」。

ではユーロが何故問題かというと、ドイツとスペインのような経済環境の全く違う国で金融政策を共有したら、誰にとっても適切な金融政策ではありえないことだろう。ドイツにとっては少し高い政策金利は、スペインには低かったためインフレ要因となった。で、ドイツで資金調達してスペインに投資するキャリートレードが行われ、リーマンショックでリスクに気づかれた今、大絶賛逆流中という。

現状で求められる対策はPIIGSの信用不安をユーロ全体でケツを持つ事で、必然的に最も経済状況の良いドイツの負担を必要とする。でもドイツはユーロを資金移動同盟には絶対したくないらしい。というか、経済成長のためには財政健全化が有効だと本気で思ってるらしい。結果起こることは、ユーロのドイツ帝国化と破綻だろう。そして、リーマンショックを第一波、ユーロ破綻を第二波として、もう一度大恐慌がおきる(かもしれない)

以下雑感。

今が大恐慌の時代に相当するとした場合、世界経済の中心/覇権がニューヨークからどこかに移動する状況であり、多分最後の局面にあるのだろう。問題は中心の移動というのは、経済世界を全て巻き込むレベルの苛烈な抗争を伴うことだ。まぁ、それも大概勘弁してもらいたいけれども、覇権抗争を行うのはどこだろう?ユーロ全部が沈むとすれば、南米、インド、中国、日本くらいが想定される。ここで、ジオカルチャー的側面に「中国化する日本」の「宋朝-江戸」の対立軸を持って、中国-日本の世界最終戦争が起こった日には「日本負けろ」というしかないなぁ。

2012/11/07

光圀伝



水戸黄門として名前だけは無闇に有名な人物を、青春の懊悩を基に再構築した大作。ではあるのだけれど、実際の水戸光圀の巨人さ加減を反映し、青春の懊悩の影響は甚大極まりない。この作品でも重要な位置を占める大日本史と水戸学は昭和まで至る尊皇思想の原点ともなる。ネタバレになるかもしれないが、光圀が冒頭殺すのは、明らかに自らの身から産まれた怪物なのだ。
青春小説の如くさらっと読ませて、こんなに恐ろしい歴史観を内包しているのは、おっかない話であるよ。1人の青年の中二病がこじらせすぎた挙げ句、一国の世界認識を制圧するんだぜ。

2012/08/13

クルーグマン

「さっさと不況を終わらせろ」を流し読みしたんだけど、各所で聞いた気のする増税とか財政再建とかデフレ容認とかは全くなく、いつものクルーグマンだった。
解説にある反語的皮肉を理解しないにしても難しいんじゃないかね。
いつも通りの「需要は重要」が経済史の概説と経済的保守派への悪口に併せて語られる、平易な一冊。いつものクルーグマンだよなぁ。

2012/07/29

商機を見いだす「鬼」になれ



「東洋のユダヤ人」とも称される(らしい)温州人の成長エネルギーを豊富な事例を基にまとめた本。
  • 薄利多売上等。薄利でも十二分。
  • 小さな事からガッツリと
  • 顧客のためなら常に全力
  • 競合他社は味方
  • リスク上等!度胸指数=DQ

などなどの熱いメッセージとエピソードが詰まっている。ちょっと元気がなくなりそうな時に読み返したい一冊。野趣あふれる列伝調の方が性に合うらしい。

2012/07/21

天才 or not?


数年前に読んだマシュー・サイドの「非才!」では、「才能なんてものはない。才能と思われているものは、適切な練習を十分に積み重ねることでえられる」と主張していた。マシュー・サイドは下のように卓球の人なので、当然のように「ワルドナーだって天才ではなく、適切な練習をしこたまやったから強いんだ」と主張するわけだ。

しかし、ワルドナー伝説 に挙げられているエピソードでは、「9歳で卓球を始めたワルドナーが3球目の練習をさせると、サービスでタッチを変えながらどんな回転がかかるかチェックしていた」とか、「ラリーの練習をさせると中後陣からサイドスピンも入れたドライブで遊んでいた」とかある。後年のワルドナーを育てるための練習を自分でやっていたようにしか思えないエピソード群だ。もちろん、ワルドナーの神話を構築するための伝記と思えば多少の誇張はあるだろうし、「コース固定の練習が主流の時代にオールをやり込んだ先輩」や「指導者全員スマッシュ最強を疑っていない時代に、中陣ドライブ主戦で強くなったアペルグレン」のような先人の後に続いている面も多々あるんだろう。
ワルドナーの天才性に「良い意味で人の言うことを聞かないこと」を含めてしまうと、天才育成法は技術以前の心性をいかに育てるかに帰着してしまうんでないかなぁ。


2012/07/14

「中国化する日本」つぶやき(俺の)まとめ

「中国化する日本」のあまりの面白さにつぶやきまくっていたので、それをまとめておこうと思う。というか、「ちゃんとネタに昇華しろよ」と心中にツッコミもあるけれど。


ワルドナー伝説を買いに行ったら、なぜか「中国化する日本」も入手していたのだが、ヤバいくらい面白い。

「中国化する日本」正直食わず嫌い的に忌避していた面もあるんだけど、「アナーキー・イン・ザ・ヨウ・メイ!」みたいな頭悪いフレーズ(賛辞)をもっとフィーチャーしたら俺受けは良かったと思うなぁ。陽明学はたしかにアナーキーだわさ

というか、学生相手の概説がベースとはいえ、ダジャレ多すぎないか?俺はそういうの大好きだけど。しかし、高校までの理解を破壊する内容だけに、ダジャレ抜きで読むのはツラい。「歴史学界の田中啓文」とラベリングしておこう。

「奇兵隊、農家の次男以下、希望は戦争」みたいな時事フレーズの濫費。

「中国化する日本」の割と序論ぽい前提では「中国=近代=宋代の社会システム」と「日本=封建制=江戸時代」を対置しているように感じた。考えてみると「近代→封建制」という時系列に、説明を要しないって、世の中変わったもんだなぁ。

というか、一応中国史の高等教育を受けた(修めたとは言わない)身なので、中国の歴史は千年前に終わってる(フクヤマ的に)ってのはどうかと思った。

あと、宋代以降の千年間で封建制を志向した中国の為政者は二例のみ、朱元璋と毛沢東だ。という辺りも面白い。現在中国の内部対立は毛沢東vs鄧小平、毛沢東が勝ちそう(らしい)ってのは、「日本化する中国」とでも呼べちゃうのかもしれないけど、その先にあるのは良くても倭寇だよなぁ。

宋代以降の中国って歴史的経緯からいっても、侵略者と非侵略者がwin-winを取れる開放系の社会システムだったんではないか。というか、この千年間、好戦的な漢族王朝と領土を拡張する非漢族王朝とラベリングして差し支えない気がする。

太子党って宦官が世襲してるような存在だと考えると、中国の人心が荒むのも理解できる。とはいえ、習近平の来歴に「父は共産党幹部だったが、文革で以下略」なんてあるので、日本よりはだいぶマシなんだろうなぁ。

「中国化する日本」の論点からすると、現在の日本は「継ぐ家が漸減(もしくは激減)する江戸時代」なんだろう。そりゃぁ、あふれる閉塞感にも納得いく。まぁ、中国は「世襲宦官による支配」なわけで、閉塞感はどっちも大概だよなぁ。

中国の強烈な格差って、権力の持続可能性が乏しいこと(宦官と科挙官僚)と均分相続による富の離散で攪拌されてるから維持できたんじゃないかと思うのだ。一人っ子政策下では普通に富の離散が起きないから、長期的な不安定要因になるんじゃないかねぇ。



しかし、普通にレポートくらいは書ける分量つぶやいてるな。勿体ない(笑

2012/07/13

「中国化する日本」雑感

現在の中国関係の本を乱読しつつ、ちょっと古い中国を扱った本も読んでみた。正確には「ワルドナー伝説」を買いに行ったジュンク堂で見かけて、「そういえば噂になってたなぁ」と思い出して一緒に買った。タイトルからして「アホを釣る」気満々の挑発なんだけれど、実際タイトルは釣り。でも、釣られそうな人は迷わず読むべき。釣られる前に想像していたより不快な内容だと請け合っていい。「悪辣なる中国に侵略されている神国日本」だと思って手にとったら、「ぶっちゃけ中国って千年前に近代国家を確立してて、欧米のシステムってその中国のバッタモンだよね」といきなり書いてあるんだから。
で、ド近所に成立した近代国家から背を向け、封建社会を作り続ける人の歴史として近世日本史を語り直すのがこの本。最近の研究成果と大胆な解釈をダジャレで接合した大変おもしろい本だった。

以下雑感。
本書中では

中国=宋で確立=近代社会=開放系
日本=江戸幕府で確立=封建社会=閉鎖系
として、対置してるんだけど、それって閉鎖系の社会システムの極点に江戸時代を置いているわけで、事大主義ではないのかなぁ。

個人的にクリーンヒットされたダジャレに「アナーキー・イン・ザ・ヨウ・メイ」がある。たしかに陽明学の徒は一歩間違うとアナーキーだ。


思想的にも「Right!! Now」だしなぁ。

2012/07/12

「ワルドナー伝説」


タイトルの通り、テーブルテニスの王様の伝記。

個人的には、卓球を始めた当初のワルドナーが、印象的だった。三球目の練習ではサービスのタッチを変えながら、タッチと回転変化を修得していたり、ラリー練習でもタッチとスイングを変えながら打法のバリエーションを磨いていたとか。つまり、初心者ワルドナーは、周囲のコース・打法を固定した練習ではなく、ワルドナーになるための練習をしていたのだ。おそろしい話だ。

   

2012/07/11

中国の近未来とウォーラーステイン

「チャイナ・ジレンマ」「脱・中国論」の、特に右派と左派の路線対立 を扱った辺りを読みながら思ったこと。
「イデオロギー闘争の両サイドは、今に至っても、結局は毛沢東VS鄧小平なんだ。(中略)毛沢東は大躍進や文化大革命など極左路線を歩んで、中国の発展を大幅に後退させた。鄧小平は幾度にもわたる失脚を乗り越えて、改革開放を唱え、市場経済を中国にもたらした。両者の違いは歴然としている。(中略)共産党首脳部、そしていまだに存在する長老はたちは、この対立の視点から闘争を眺めている。そして、問題は、2012年という政治の季節を前にして、毛沢東思想が明らかに優勢を占めていることだ」(『脱・中国論』p95)

毛沢東思想が支持を得てしまう要因としては、社会矛盾とか貧困を前にした人々が「昔は貧乏だったけど、みんな平等でよかったな~」と思ってしまうこともあるそうな。ちょっと「三丁目の夕日」を連想してしまったが。対して六四でやっちまっている鄧小平は右派にとっても微妙な存在で、それが右派の困難さにもつながっているらしい。

一方で、ネットでのフリーダムな言論の美味しさを(必死に統制はされているけれども)人民は知ってしまいつつある。人民による意思決定の欲求は徐々に強くなると思うべきで、対立の内圧は高くなるんだろうなぁ。



時に、この左傾する首脳部と自分たちの意思決定権を要求する人民の対立は、「入門世界システム分析」で言及された「自由主義」vs「急進主義」の図式に近似するんじゃないかね。個人的にはそんなスケールの大きな抗争が間近で起きるのは、面倒この上ないので勘弁して欲しいけどねぇ。

ちなみに、「入門世界システム分析」は近代世界システムの歴史、近代世界システムにおける社会科学史、筆者の自分史を合流させながら、政治的意思決定に関する思想の変遷と分布を語り、近未来に訪れる世界システムの崩壊と次の世界システム成立に向けて、「(君の信じる)自由のために戦え」と路線対立のないアジテーションに帰着する傑作。

「(君が信じる)自由のために戦え」ってアメリカで主張したら、右翼も左翼もなく賛同されるんじゃないかねぇ。

2012/07/09

「チャイナ・ジレンマ」と宋教仁路線

チャイナジレンマは外務省で東アジアの外交を仕切っていた著者が現在中国の問題点、矛盾を論じた本。先日読んだ「脱・中国論」とも共通する部分がある。で、気になったのが政治的な路線対立の底流には、毛沢東思想(左派)と鄧小平理論(右派)の対立があるという話。左派はともかくとして、右派は経済成長、グローバルスタンダード、リベラリズムを志向するらしい。

しかし、六四事件の当事者である鄧小平がリベラル志向だったと言われても素直には受け取れない。それが右派の立場の微妙さ(鄧小平に乗り切れない)に現れているそうな(「脱・中国論」の話題だったか)。むしろ、民国初期の「宋教仁-その他」の路線対立が緩慢に続いているというのが近いんでなかろうか。当時の民国では「大衆に選挙権を与えて共和制に移行したら、統制のできないカオスになる」という反対を受けながら、宋教仁が共和制を志向し暗殺された。「毛沢東-鄧小平」に加えて「宋教仁-その他」の2軸でプロットした方が深さを持てるんじゃないかと思った。まぁ、毛沢東寄りのリベラルって想像がつかんけど。

2012/07/06

脱・中国論

脱・中国論というタイトルは、ステロタイプに中国とか中国人とかラベリングして語ることから脱却しよう=中国の人たち個々と向き合おうという意味らしい。で、バックグラウンドを問わず、中国人と遊びまくった話が人を起点に語られるんだけど、そこから透かし見える中国の矛盾(俺は矛盾が大好きだ)がすごくおもしろい。
個人的には、右派(中国ではリベラル派)の大物がぼやく、「俺の人生って何だったんだろ?」とかがとてもいい話だった。いい話っていうのもよくないかもしれんけど。

2012/07/04

世界一流のサッカー監督から学ぶマネジメント



強豪サッカーチーム監督の仕事はビジネスリーダーと共通する物が多く、監督の仕事の方が困難だ。だから、サッカー監督の方法論を観察することで、ビジネスにとって得るものが多い。って本だ。野球で同じ事をやった本はたくさんある気もするけれど。その手の本では冷徹とされる人を扱ったビジネス・マネジメント・スタジアム
と比べても、冷徹な感じを受けた。

冒頭では監督の仕事に含まれている大変な要素を列記している。

  • 常に不特定多数の人が業務を監視し、評価を下す
  • 社内に自分より報酬の多い社員がいる
  • 結果を出しても現職に留まれる保証はない
  • 年に数回、優秀な社員が会社を去る。他社に出向した社員に給料を払い続ける。ところが、その社員が自社に戻り、勤務に復帰する保証はない
  • 公人として、全ての言動がテレビで放映され、インターネットを通して世界中に配信される
  • 社員の国籍や文化的背景は様々である
  • 常に突出した結果を求められる

いや~、大変だ。この大変な、大変すぎるミッションを果たすために、10の特性が用いられているらしい。
自分の身に関係してきそうな箇所を重点的に読んでいった(だって、システム論とかはサッカー雑誌を見た方が面白い)。基本システムを確立すること、 システムを実現するためにトレーニングをすること、柔軟性とシステムのアイロニカルな関係、などは興味深かった。たしかにOJTに逃げている事は多い(実戦でしか身につかない事も多いけれど)。

 本書ではコーチングもちょっとだけ扱ってるんだけど、サー・アレックス・ファーガソンのコーチングは詳細に教授されたい気がする。というか、ファーギーヘアトリートメントとその後のケア術を習得したら、かなり強いだろう。ベッカムなんてロッカールームでサーがぶん投げたスパイクで顔に傷ついても、「プレミアに俺の帰るチームはユナイテッドしかない」って言ってるもんなぁ。

オタクの行動経済学者、スポーツの裏側を読み解く


スポーツに内包されている様々な意志決定を統計と行動経済学の知見から分析した本。と書くと難しいけど、普通に雑学本と思って読んでも充分に楽しめる。惜しむらくは俺がアメリカンスポーツに疎いので、ネタの大半が通じていない気がすることだ。

たまたま休暇中に観たヘルメットキャッチが、実は誤審(イーライがラッシュを振りほどいて逃げた時点でサックされてるらしい)で、その原因となるバイアスは何か?そのバイアスは野球のストライクゾーンにも有意に影響しているぞ。という最初のネタも印象的だったけれど、シカゴカブスの呪いの話は強烈だった。
カブスファンにとって、「ひどい野球と高いチケット」は許せて、「ひどい野球と高いビールは許せないらしい。そりはかなり勝ちにくい状況だ。など、飲み会でも使えそうな小ネタを仕込むには充分な一冊。

2012/07/01

ひらめきトレーニング


夏用のスラックスを調達に行く地下鉄の中で軽い本を読んでいた。創造力というのは個人の能力に依存しているように思われてるけれど、技術と方法論が底流にあって適切な訓練をすれば誰でも発揮できるのだ、と。で、技術と方法論を身につけるための方法を解説している。

気になったのは、例えば会議でアイデアを出すための準備運動。「ビーチボールでキャッチボールする」。フリーダムすぎないか?と思ってしまうので、会社ではちょっと試せないかなぁ。

しかし、家で考え事をする準備運動として、フットサルのボールをナメるとか、ピン球をつくとかは効果的かも。

2012/06/27

図書館戦争(読みかけ)

図書館戦争
を読んでいる。まぁ、まだまだ読みかけというか現場に向かうあおなみ線で1章を読んだだけなんだけれど。しかし、図書館とメディア良化機関って両方とも公共機関でないかと思うんだけど、この世界観の中では文字通りに戦争をしてるんだよね。

「公共機関同士が殺し合い?原資は税金?大蔵省何やってんの?!」と思ったら大変殺伐したディストピアに思えた。さらに大蔵省がこの壮絶な税金の無駄遣いをお目こぼししている理由について考え、「名目GDP成長率ターゲット政策の一環」説を思いついた。結果、より殺伐した世界に思えた。


2010/07/10

ウブントゥ

地味に季節物の南アフリカで一番美しい言葉を扱った本。「ウブントゥ」って言葉は「みんなの幸せは俺の幸せ」に付随する思考/行動セットをザックリ包含した「翻訳のしようが無い」単語らしい。まだ第一章しか読んでいないので即断は禁物なんだけど、「困った時はお互い様」とか「情けは人の為ならず」とかまとめられそうな気がしている。

それって、価値観としては既存で、「良いと分かってるならやれ!」という話じゃん。わざわざ言われないと分からない想定読者層の方が不思議w

2010/04/01

『アッチェレランド』と経済2.0

恵与経済が経済2.0(=希少性に依存しない新しい経済)として扱われているんだけど、結局のところネットワークの帯域幅と演算パワーが希少価値を持っているように読める。経済1.0を超えていないんじゃないかね。

むしろ、恵与経済が持っている意味合いとして、経済活動の市場に乗らない部分、ブローデルのいう物質文明が世界経済に拡散する状態が近い。ネットワークと流通のコストが0に近くなれば、世界中にお裾分けができるし、世界中からお裾分けが貰える。

2009/12/02

ホルモン奉行と素朴な疑問(肉はどこへ行ったか?)

日本のみならず世界中のホルモン料理を食いに行ってしまう食い道楽ルポルタージュ。でも、その背景に差別の問題が潜んでいる。日本史をちょっと思い出してみよう。「士農工商・えた・ひにん」という階級制度の中で「えた」という階層は現在まで続く被差別部落のルーツだ。漢字で書くと「穢多」となり、具体的には牛馬を屠殺し皮革製品を作っていた人達を指す。

江戸期の日本では肉食の習慣がなかったとされている。しかし、今で言う被差別部落では結婚式等ハレの日に牛を一頭捌いて食べていたらしい。その料理が沢山紹介されている。そして素朴な疑問が湧いてくる。

その牛のカルビはどこに行ったんだろう?正確には誰が食ったんだろう?この本に紹介されているごとく、部落にはホルモン料理が継承されていた。内蔵でない料理はどうだったんだろう?

肉を残してるなんて贅沢な事はしていないと思うんだが。