2011/02/21

ラバーの加工問題

卓球王国の今月号で水谷隼選手がぶち切れているラバーの後加工問題について少し考えてみた。ITTFのルールではこう定義されている。

The racket covering shall be used without any physical, chemical or other treatment.
要約すると、「ラバーには何もしちゃダメよ」と書いてあるので、これ以上シンプルかつ明瞭な条文にはならないと思う。でもルールブックに書いただけでは「ルールに見える何か」でしかなくて、客観的な判断基準と基準に抵触した時のペナルティが伴ってこそルールとして機能するとも言える。

まず、判断基準はラケットに含まれている有機溶剤その他の有害物質の有無で決定するのが適切だろう。メーカーの出荷前後で加工の可否が変わるような意味の分からない運用はやめよう。それを言い出すと、製造時にゴムをこねるのはphysical treatmentではないのか?と突っ込まれそうだが。更に選手はラケットに対して全ての責任を負う事、故意性を判断材料としない事を原則にする。これはドーピング検査や(卑近な例では)酒気帯び運転の検査と同じだ。そして、ラケットが基準に抵触していた場合、現在はスペアラケットの使用、その試合の失格、そのトーナメントから失格という処分が下っているはずだけれど、より厳しい処分を設定する。3ヶ月〜2年の出場禁止とか。

いずれにせよ、スピードグルーは今も普通に買えるわけで、この規定はまだ「ルールに見える何か」でしかないのだ。「ルールに見える何か」が何故問題かと言えば、それをルールだと認識した人が不利益を受ける、言い換えれば正直者がバカを見る事にある。「ルールに見える何か」をちゃんとルールにしていく為に、すべき事はいっぱいあるんじゃないかね。

しかしながら、自分の体に対するドーピングですらDIY輸血で死にかけるバカが現れるんだから、ラケットに対するドーピングが根絶できる日は遠いんだろうなぁ。

2011/02/20

反ドーピングの問題点

ドーピングの問題については、競技にもよるけれど語り尽くされていると思う。特に汚染の激しい競技(自転車レースとか)ではそうだ。主な問題は二つある。

  1. 選手の体に対する健康リスク
  2. 他の選手に対する公平性(フェアネス)
第一に考えられるべきは選手の健康リスクで、反ドーピングとは「人体に有害(だが競技的に有効っぽく見える)使い方をされる薬物を規制し、違反者に懲罰を与える事によって選手に見えるリスクを与え、間接的に健康リスクから遠ざける」活動と言える。

問題はジャムを見るにはジャムの目がいるのと同様、ドーピングを見るにはドーピングの目がいる事である。 一例として、

  • 自宅の冷蔵庫で保存した自分の血液を自分で輸血したら、血液が劣化していて死にそうになった選手
  • レース後の抜き打ちドーピング検査の前に、食事と水分補給をしたのはドーピングの痕跡を隠す為だから処分すべきと主張した検査官
など甲乙つけがたい優秀な頭脳の持ち主であろう。

このように脳が筋肉(すじにく)になってしまうリスクがあるにせよ、俺は反ドーピングの理念・目的は正しいと考える。みんな頭が良くなる薬をドーピングした方が良いと思う時はあるけどな。