2012/07/14

「中国化する日本」つぶやき(俺の)まとめ

「中国化する日本」のあまりの面白さにつぶやきまくっていたので、それをまとめておこうと思う。というか、「ちゃんとネタに昇華しろよ」と心中にツッコミもあるけれど。


ワルドナー伝説を買いに行ったら、なぜか「中国化する日本」も入手していたのだが、ヤバいくらい面白い。

「中国化する日本」正直食わず嫌い的に忌避していた面もあるんだけど、「アナーキー・イン・ザ・ヨウ・メイ!」みたいな頭悪いフレーズ(賛辞)をもっとフィーチャーしたら俺受けは良かったと思うなぁ。陽明学はたしかにアナーキーだわさ

というか、学生相手の概説がベースとはいえ、ダジャレ多すぎないか?俺はそういうの大好きだけど。しかし、高校までの理解を破壊する内容だけに、ダジャレ抜きで読むのはツラい。「歴史学界の田中啓文」とラベリングしておこう。

「奇兵隊、農家の次男以下、希望は戦争」みたいな時事フレーズの濫費。

「中国化する日本」の割と序論ぽい前提では「中国=近代=宋代の社会システム」と「日本=封建制=江戸時代」を対置しているように感じた。考えてみると「近代→封建制」という時系列に、説明を要しないって、世の中変わったもんだなぁ。

というか、一応中国史の高等教育を受けた(修めたとは言わない)身なので、中国の歴史は千年前に終わってる(フクヤマ的に)ってのはどうかと思った。

あと、宋代以降の千年間で封建制を志向した中国の為政者は二例のみ、朱元璋と毛沢東だ。という辺りも面白い。現在中国の内部対立は毛沢東vs鄧小平、毛沢東が勝ちそう(らしい)ってのは、「日本化する中国」とでも呼べちゃうのかもしれないけど、その先にあるのは良くても倭寇だよなぁ。

宋代以降の中国って歴史的経緯からいっても、侵略者と非侵略者がwin-winを取れる開放系の社会システムだったんではないか。というか、この千年間、好戦的な漢族王朝と領土を拡張する非漢族王朝とラベリングして差し支えない気がする。

太子党って宦官が世襲してるような存在だと考えると、中国の人心が荒むのも理解できる。とはいえ、習近平の来歴に「父は共産党幹部だったが、文革で以下略」なんてあるので、日本よりはだいぶマシなんだろうなぁ。

「中国化する日本」の論点からすると、現在の日本は「継ぐ家が漸減(もしくは激減)する江戸時代」なんだろう。そりゃぁ、あふれる閉塞感にも納得いく。まぁ、中国は「世襲宦官による支配」なわけで、閉塞感はどっちも大概だよなぁ。

中国の強烈な格差って、権力の持続可能性が乏しいこと(宦官と科挙官僚)と均分相続による富の離散で攪拌されてるから維持できたんじゃないかと思うのだ。一人っ子政策下では普通に富の離散が起きないから、長期的な不安定要因になるんじゃないかねぇ。



しかし、普通にレポートくらいは書ける分量つぶやいてるな。勿体ない(笑

2012/07/13

「中国化する日本」雑感

現在の中国関係の本を乱読しつつ、ちょっと古い中国を扱った本も読んでみた。正確には「ワルドナー伝説」を買いに行ったジュンク堂で見かけて、「そういえば噂になってたなぁ」と思い出して一緒に買った。タイトルからして「アホを釣る」気満々の挑発なんだけれど、実際タイトルは釣り。でも、釣られそうな人は迷わず読むべき。釣られる前に想像していたより不快な内容だと請け合っていい。「悪辣なる中国に侵略されている神国日本」だと思って手にとったら、「ぶっちゃけ中国って千年前に近代国家を確立してて、欧米のシステムってその中国のバッタモンだよね」といきなり書いてあるんだから。
で、ド近所に成立した近代国家から背を向け、封建社会を作り続ける人の歴史として近世日本史を語り直すのがこの本。最近の研究成果と大胆な解釈をダジャレで接合した大変おもしろい本だった。

以下雑感。
本書中では

中国=宋で確立=近代社会=開放系
日本=江戸幕府で確立=封建社会=閉鎖系
として、対置してるんだけど、それって閉鎖系の社会システムの極点に江戸時代を置いているわけで、事大主義ではないのかなぁ。

個人的にクリーンヒットされたダジャレに「アナーキー・イン・ザ・ヨウ・メイ」がある。たしかに陽明学の徒は一歩間違うとアナーキーだ。


思想的にも「Right!! Now」だしなぁ。

2012/07/12

「ワルドナー伝説」


タイトルの通り、テーブルテニスの王様の伝記。

個人的には、卓球を始めた当初のワルドナーが、印象的だった。三球目の練習ではサービスのタッチを変えながら、タッチと回転変化を修得していたり、ラリー練習でもタッチとスイングを変えながら打法のバリエーションを磨いていたとか。つまり、初心者ワルドナーは、周囲のコース・打法を固定した練習ではなく、ワルドナーになるための練習をしていたのだ。おそろしい話だ。

   

2012/07/11

中国の近未来とウォーラーステイン

「チャイナ・ジレンマ」「脱・中国論」の、特に右派と左派の路線対立 を扱った辺りを読みながら思ったこと。
「イデオロギー闘争の両サイドは、今に至っても、結局は毛沢東VS鄧小平なんだ。(中略)毛沢東は大躍進や文化大革命など極左路線を歩んで、中国の発展を大幅に後退させた。鄧小平は幾度にもわたる失脚を乗り越えて、改革開放を唱え、市場経済を中国にもたらした。両者の違いは歴然としている。(中略)共産党首脳部、そしていまだに存在する長老はたちは、この対立の視点から闘争を眺めている。そして、問題は、2012年という政治の季節を前にして、毛沢東思想が明らかに優勢を占めていることだ」(『脱・中国論』p95)

毛沢東思想が支持を得てしまう要因としては、社会矛盾とか貧困を前にした人々が「昔は貧乏だったけど、みんな平等でよかったな~」と思ってしまうこともあるそうな。ちょっと「三丁目の夕日」を連想してしまったが。対して六四でやっちまっている鄧小平は右派にとっても微妙な存在で、それが右派の困難さにもつながっているらしい。

一方で、ネットでのフリーダムな言論の美味しさを(必死に統制はされているけれども)人民は知ってしまいつつある。人民による意思決定の欲求は徐々に強くなると思うべきで、対立の内圧は高くなるんだろうなぁ。



時に、この左傾する首脳部と自分たちの意思決定権を要求する人民の対立は、「入門世界システム分析」で言及された「自由主義」vs「急進主義」の図式に近似するんじゃないかね。個人的にはそんなスケールの大きな抗争が間近で起きるのは、面倒この上ないので勘弁して欲しいけどねぇ。

ちなみに、「入門世界システム分析」は近代世界システムの歴史、近代世界システムにおける社会科学史、筆者の自分史を合流させながら、政治的意思決定に関する思想の変遷と分布を語り、近未来に訪れる世界システムの崩壊と次の世界システム成立に向けて、「(君の信じる)自由のために戦え」と路線対立のないアジテーションに帰着する傑作。

「(君が信じる)自由のために戦え」ってアメリカで主張したら、右翼も左翼もなく賛同されるんじゃないかねぇ。

2012/07/09

「チャイナ・ジレンマ」と宋教仁路線

チャイナジレンマは外務省で東アジアの外交を仕切っていた著者が現在中国の問題点、矛盾を論じた本。先日読んだ「脱・中国論」とも共通する部分がある。で、気になったのが政治的な路線対立の底流には、毛沢東思想(左派)と鄧小平理論(右派)の対立があるという話。左派はともかくとして、右派は経済成長、グローバルスタンダード、リベラリズムを志向するらしい。

しかし、六四事件の当事者である鄧小平がリベラル志向だったと言われても素直には受け取れない。それが右派の立場の微妙さ(鄧小平に乗り切れない)に現れているそうな(「脱・中国論」の話題だったか)。むしろ、民国初期の「宋教仁-その他」の路線対立が緩慢に続いているというのが近いんでなかろうか。当時の民国では「大衆に選挙権を与えて共和制に移行したら、統制のできないカオスになる」という反対を受けながら、宋教仁が共和制を志向し暗殺された。「毛沢東-鄧小平」に加えて「宋教仁-その他」の2軸でプロットした方が深さを持てるんじゃないかと思った。まぁ、毛沢東寄りのリベラルって想像がつかんけど。