2012/07/24

原発とトイレ

「原発はトイレも無しにウンコするようなもの」という主張がある。たしかに放射性廃棄物の処理は「貯めておいて、とりあえず埋めて、1000年放置」だから、まともな処理とは言いがたい。しかし、ウンコの処理を歴史的に考えてみると「原発は自然に反する現代のトイレ」と言った方が近いようにも思える。

いうまでもなく、最初のトイレは「野糞」。草木は育つし、家畜の餌にもなったかもしれない。江戸前寿司のネタは、江戸の生活排水を養分に育ったとも聞いたことがある。しかし、草木の肥やしになるのも魚の餌になるのも、環境負荷には違いない。環境の容量を超えた時には、環境の悪化を招くのは必定だ。

次の段階は「資源化」。古くはローマ帝国のウェスパシアヌスであったり、江戸の汚穢屋(=長屋の便所からウンコを買い集め、熟成させて肥料として近郊農家に売る産業)であったり。前近代は「野糞」と「資源化」が並立していた時代。しかし、ウンコの資源化がなされた事例って、珍しいような気もする。

現代的なトイレは何らかの手法でウンコを集め、「脱水して、燃やして、埋める」。参考:wikipedia

こう考えると、「火力発電-野糞、原子力発電-下水処理」とした方が類似性は強いんでないかなぁ。

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