2012/02/15

必殺技に名前をつけてみる

ふと思いついて自分に出来る(時がある)中で最も威力のある技術に名をつけてみた。曰く「出会い頭の交通事故」、バッククロスへのドライブをフォアでカウンターするのだ。名に違わず出来る時ははとても少ない。成功率以前にトライできるのが稀という状態だ。とはいえ、「出会い頭の交通事故」が相手の心理に与える影響は小さくないように感じる。もう少しマトモに使える技術にするための方策を考えてみた。

技術の成功回数を増やすには、
  • 成功率を高める
  • トライする回数を増やす
という方向性があるだろう。どちらも練習しないと向上しない部分ではあるけれど、下の「トライする回数」は技術以上に身体能力と予測がモノを言うように思う。まぁ、それも練習だけど。

練習方法としては、
  • ツッツキをドライブしてもらってカウンターする練習。
  • ループドライブをカウンターする多球練習
などがあるだろう。

しかし、、これに限らず重要なのは予測なんだろう。出来るときの予測は「何となく打球前にステップして、何となくフルスイング」している。素面で思い返しても「予測担当は別人」としか思えない。
まぁ、練習で球数を打っていくしかないな。

2012/02/07

温泉宿



ダムでの仕事のため前泊するのだが、道中で比較的近そうな旅館を探したら、こんな部屋に一人通されて途方に暮れるのだ。
油断すると一撃で風邪を引きそうだし。

2012/02/06

その勝負はもう終わっている気がする

2012年2月6日のヘッドラインニュース - GIGAZINE 勝負下着のポイントの話。男性がもっとも重視するのは「手触り」らしいのだが、その勝負はもう既に決着がついているように思えてならない。

2012/02/01

卓球版個人戦術について

まず、個人競技の卓球で個人戦術って意味わからんな。仕事帰りに、フットサル個人戦術バイブルという本をパラパラと立ち読みしたのだ。個人戦術というのは、フットサルの中で各選手が行う駆け引きを体系化したものらしい。たとえば、ボールを持っていない時に自分をマーカーを振り切るための動きだったり、ボールを受ける瞬間にマーカーの予測を外した場所にボールをコントロールする事だったりする。個人戦術のレベルが高いと何がお得かというと、少ない動きで自分に有利な形でボールを保持できる。らしい。 

 で、卓球に「個人戦術」が無いか?と考えてみた。それは確かに体系化されていない経験則かもしれないけれど、技術解説の一部に含まれているんではないか。「ツッツキをぶち切ってループをカウンターする」とか「強いボールに対してはクロスに返球される事が多い」とか。さらに言うと、実は戦術として意識されるより先に、システム練習に組み込まれているんではないか?

卓球版個人戦術が体系化された時の恩恵を妄想すると、「戻りの位置が合理的になる」のではないか。



私見で「卓球版個人戦術」の権化は馬琳だけれど、自分の打球と相手を見て戻り方が一球ごとに違う。個人戦術の体系化がなされた暁には、対戦相手のパワードライブも(どうにか)手の届くようになるはずだ。
言い換えれば、卓球で個人戦術を体系化する営為は、おっさん卓球の体系化に他ならない。俺はおっさんなので「おっさん卓球大全」とかあれば交差歩で飛びつくだろうが、学生が買うには心理的障壁の多いタイトルになってしまうなぁ。

2012/01/17

失われたn十年を不幸にしない、質実剛健なバブルの過ごし方

このエントリは徹頭徹尾アルビン・トフラー語法で記述する。アルビン・トフラーは『第三の波』の序文で「俺っち未来について記述するからさぁ、大半の文末に「~になる可能性がある」とか「~かもしれない」とかつけないといかんわけよ。正確な表現を期した場合にはね。でも、そんなの怠くてやってらんないから、読者様が適宜脳内で補ってね」という主張をしていたのだ。文章はもっともっと堅実なそれだってけれども。
このエントリは、いつもに増して与太なので「(嘘)」を適宜保管していただきたい。

考えたきっかけは下のリンク先である。

http://blogs.itmedia.co.jp/akemi/2012/01/post-4.html

ここでは最近のヨーロッパ・アメリカの控えめに表現しても酷い様を顧みて、「失われたn十年」の日本は失敗のモデルケースでないと目されているようだ。記事でも言及されている通り、現在のヨーロッパ・アメリカの様からすれば、日本の一〇年前から変わらない安定のダメさ加減はマシに見えるのかもしれない。
しかし、経済政策の方法論に落とし込むには、日本で実施された「ゼロ成長ターゲット」は他の国に対しては適用しづらかろう。というか、発展している事になっている中華人民共和国においてすら、ゼロ成長ターゲットをしていては破綻を免れまい。

もしヨーロッパ・アメリカが今後「失われる十年」を行き、それが日本のそれと比して酷い有様だったとして、だ。それは経済政策に起因するのだろうか?不況の初期条件-バブル絶頂期の条件の違いが失われる十年の命運を分ける可能性はないだろうか?その線で未来に、「失われたn十年」から学ばれるビジネス書のタイトルを考えてみた。

「 失われたn十年を不幸にしない、質実剛健なバブルの過ごし方」
「禅=バブル」

あぁ、弟に上のブログの事を話したら、「日本の自殺者は年間に3万人…」と言われたよ。自殺が失業率の低下に寄与している可能性はあるよね。どこのマルサス世界だよ!とは思うけれども。