表題は人口の大多数には影響しない命題だと考えている。大概の人は「楽しい/つまらない」「勝つ/負ける」のどっちが望ましいかを訊かれたら、「楽しい/勝つ」を選ぶはずた。だからこの命題は楽しさと勝ちがトレードオフという間違った前提をおいている。
ここで唯一問題になりうるのは、基礎技術を身につけるための苦しい練習を如何に取り入れていくか、だろう。オッサンになってエンジョイ志向であっても、両ハンドがマトモに使えない程度の練習をしていた昔の自分に対する憤りは感じるだろうからだ。
これは「勝つための練習」をした人がより長く卓球を楽しめるという論拠になっているが、私見では全く違う点が問題に感じる。
最も大きな問題はエンジョイ志向で基礎技術を身につけるための方法論が全く未整備であり、苦しい練習を乗り越える(根性以外の)合理的方法論がないことだ。
ポイントは苦楽のバランス感覚が鋭敏な小学生(及びオッサン)を騙せる位に精緻な方法論であること。
俺個人は狸のぬいぐるみを的にして、フアルケンベリの多球練習は楽しんじゃう気がする。息切れの速さには自信あるが。
2010/08/10
2010/08/01
2010/07/31
2010/07/30
2010/07/23
効率の定義について卓球から考えてみる
まずは前提から
- 効率=出力/入力
- 効率が最優先とは限らないが、良いに越した事はない。
- 効率を最優先しない場合、出力の最大化か入力の最小化が最優先される。
- 勿論、入力/出力をどう定義するかで、効率の考え方も変わる。
かくしてラリー戦を強制された中で問題になるのは、「オールフォアと両ハンドはどちらが効率的か?」だろう。大概の人はフォアの方が正確かつ威力のあるボールを打てる。より強い球を打つのがラリー戦に勝つ方法論だと考えるのがオールフォアだ。対して両ハンドを使う理由は「頂点(前)の打球点を維持するには大きく動いている時間はない」事にある。より強いボールを打つ方法論「フォアで頂点付近のボールを打つ」の要素を分解してるだけの話だ。
もしここで、最も効率的な方法論を考えるなら、「オールフォアで頂点を打てるフットワークと両ハンドを身につける」の一択なので、まるで効率的な議論とは言えなくなる。理想的なスポーツの効率ってのは入力=最大を固定値にして、出力の最大化を図るものだからだ。
現実的なスポーツでは人は簡単に成長しない。せめてミドルに来た球は回り込む。せめてバックでもつなげるようにする。サービスの練習をする。等々。出来る事からやっていく事が肝心
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